Ryota Sakurai
櫻井 涼太
プロフィール
1987年、三重県熊野市生まれ。
2013年より独学で写真に取り組み、2024年に初の写真展を開催。
同展を機に、アーティストとしての活動を始める。現在は東京を拠点に、ITエンジニアとして勤務しながら制作を続けている。
アーティストステートメント
『空白』
理解し、判断し、次へ進む。私の日常には、この流れを求められる場面が多い。ITエンジニアとして働くときには、とりわけそれが強く求められ、応じ続けるうちに、その流れ自体がいつしか当たり前になった。何かを理解したと思うと、それ以上感じたり考えたりする前に次へ進む。そこには、一度の理解を答えとしてしまい、なお感じたり考えたりする余地まで失う危うさがある。
同じことは、目の前の光景を見るときにも起きている。何かを目にしたとき、私たちはその形や色、質感を一つひとつ意識するより先に、それが何であるかを理解している。けれど、その理解だけで、見えているものを捉えきれるだろうか。
私は、何かを「わかった」と思ったあとにも、それだけで見ることが終わらない状態を『空白』と呼んでいる。制作では、写真を基点に、この『空白』が生まれる状況を整えている。何が写っているかを理解したあとにも、なお見る時間が残る作品を目指している。
Ryota Sakurai
櫻井 涼太
『空白』の実践
Between Here and There|その間 (2026-)
『その間』は、写真と、それが見られる環境の双方から『空白』を扱うプロジェクトである。
このプロジェクトが目指しているのは、何かを「わかった」と思った後にも見ることが終わらない『空白』が、展示空間だけでなく日常の中にも生じる条件を整えることである。
そのため、一度の理解で見終えない写真を制作するとともに、その像がどこで、どのように見られるかも、作品を構成する条件として扱っている。
以下では、「写真の形式」と「写真が見られる環境」という二つのアプローチに分け、『空白』が生じる条件を整える具体的な実践を紹介する。
アプローチ01 写真の形式
『その間』では、写真の形式を、それぞれの像がどのように見られるかを基準に選んでいる。
比率や大きさ、素材、支持の方法、置かれ方は、視 線の動きや写真との距離、像と周囲の空間との関係を変える。
そのため形式は一律に定めず、通常の額装から、素材や支持、置かれ方そのものを組み替えるものまで、作品ごとに選択している。いずれも、それぞれの像に『空白』が生じる条件を整えるためのものである。
5:1
5:1は、『その間』の初期から継続して用いている横長のフォーマットである。
この比率では、像が横方向に大きく広がりながらも、その全体は一つのまとまりとして視野に収まる。各部へ注意を向けると視線は左右へ移るが、像全体は視野に残る。注目する位置が変わるたびに、部分と全体との関係が捉え直される。
像全体が視野に収まりながらも、見ることがそこで終わらない状態をつくるために、この比率を用いている。

Unique Contours #1

Unique Contours #2
新たな形式
新たな形式による作品は、2026年9月の個展『その間』で発表予定。


アプローチ02 写真が見られる環境
『その間』では、写真がどこで、どのように見られるかも、作品を構成する条件として扱っている。
展示空間、スマートフォンのホーム画面、作業環境では、視線の動きや写真との距離、見ることと次の行動との関係がそれぞれ異なる。
そのため、作品を展示空間に限らず、生活や作業の環境にも置き、それぞれの環境に応じて形式を選んでいる。日常そのものを作品が見られる場として扱うことで、『空白』が生じる条件を整えている。
Interval / 空白
iOSウィジェットアプリ
アプリ『Interval / 空白』は、本プロジェクトで制作した写真作品を、ウィジェットとしてスマートフォンのホーム画面に表示する。
スマートフォンの画面に表示される視覚情報は、多くの場合、すぐに理解や判断、次の行動へと結びつけられる。
日常的に接するホーム画面の中に写真が置かれた状態をつくり、『空白』が生じる条件を整える。
次の行動へ向かうための情報だけではない、別の視線の行き先をホーム画面の中に残している。

Interval
Visual Studio Code 拡張機能
Visual Studio Code 拡張機能『Interval』は、本プロジェクトで制作した写真作品を、コードを書く画面の中に表示する。
開発の場では、行為はすぐに判断や修正、次の操作へと結びつけられる。
この拡張機能は、作業の傍らに写真が置かれた状態をつくり、『空白』が生じる条件を整える。
判断や修正、次の操作へ向かう流れの中に、視線が写真にとどまる余地を残している。

同じではありません。
写真における「余白」や「間」は、主に画面内の配置や空間の取り方に関わるものです。それに対して『空白』は、特定の構図や空いた部分ではなく、何かを「わかった」と思ったあとにも、それだけで見ることが終わらない状態を指しています。
そのため、画面に大きな余白がなくても『空白』は生じます。
いいえ。
何かが何であるかわかる前にも生じますが、その瞬間だけを指すものではありません。「わかった」と思った後にも、見えているものには、その理解だけでは捉えきれない部分が残っています。
『空白』は、理解に至るまでの時間だけでなく、理解によって見ることが閉じきらない状態も含んでいます。分かりにくくすることが目的ではありません。
作品に一つの説明を与え、それを答えとして完結させると、見ることもそこで終わりやすくなります。私は、何かを理解した後にも像へ視線を戻し、見ることがそこで終わらない状態をつくるために、一つの理解で閉じない作品を制作しています。
すべてを委ねているわけではありません。
私は、特定の感情や解釈を答えとして提示していません。一方で、何を撮るか、像をどのように構成するか、どのような形式や環境で見せるかは選んでいます。
それらを通して、一つの理解で見終えず、像へ視線を戻せる状態をつくっています。受け取り方は見る人によって異なりますが、どのように見られても同じだとは考えていません。
写真は、目の前にあったものを、ある瞬間の像としてとどめることができます。
一度定着した像には、何であるかわかった後にも、同じ像へ繰り返し視線を戻すことができます。私は、写真が持つこの性質を、『空白』が生じる状況をつくるための基点としています。
制作の出発点には、ITエンジニアとして働く中で、理解し、判断し、次へ進むことが習慣になっていった私自身の経験があります。
その経験が、何を撮り、どのような形式や環境で見せるかという制作上の判断につながっています。ただし、特定の感情や個人的な物語を伝えることを目的とはしていません。
個人的な経験は、作品の主題そのものというより、『空白』を扱う理由と制作の方法に関わっています。




